死は、復活のための死である―終末期医療の現場から 7/25「FEBC特別番組 キリスト信仰としての『終活講座』(再)」より

 

熊本を覚えて

繰り返される震災に苦しむ熊本の人々のために、神が御子の十字架のゆえに駆け寄っていてくださることを信じ、慰めを求めて祈ります。主よ、私たちを憐れんでください。


今回のFEBC特別番組は、病院付き牧師として終末期医療の現場に深く携わっておられた、
木村知己先生のお話を再放送いたします。

私は病院の再建に当たって、
「この病院で死んで良かったと思える医療と看護を提供したい」と思い、
ターミナルケア(終末期医療)を受けていらっしゃる方々に病名告知を致しました。
何故か?それは「自分の真実」を受け入れて、
死をどのように迎えるかが問題と考えたからです。

誰にとっても経験することになる「死」。
しかし、それはあまりにも重大な事柄のために、
普段の私達は戸惑い…そして無視をするのだと思います。

しかし、その事を避けがたく目前とする終末期の方には、
何より「怒り」が表れてくると木村先生は語ります。

「その怒りを引き起こすのは、死の彼方の未知だと思います。
 死ほど未知のものはありません。」

そして、死後の事を問われると、
先生はこの様にお応えされていたそうです。

「死んだらどうなる?」と問われた時、
私は「存じません」とお答えしています。
そして「聖書にはこう書いてあります」と付け加えます。
そこでは「永遠のいのちがあります」とは言わず、
「私たちには、キリスト・イエスにある復活があります」
と答えるようにしています。
何故なら…

この2つ、似たような言葉ですね。
でも、こうして先生が厳密な言葉遣いをされていたこと。
そこには大変重要な意味が秘められていました。

ぜひ放送から、この未知なるもの「死」を通し、
私達に注がれるいのちの恵みの本質をご一緒に求めていきたいと願います。

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木村知己(日本基督教団元牧師)
社会福祉法人日本伝道会衣笠病院での病院付き牧師、
社会福祉法人佐賀キリスト教事業団理事などを歴任。2012年召天。