おまへらは
わたくしの名を知らぬのか
わたしはエス
おまへらに
ふたゝび
あらはれることをば約したる
神のひとり子エスである
(宮沢賢治『基督再臨』)
石川啄木と宮沢賢治。
「旅の音・心の音(ね)」今回は、その二人が若き日を過ごした盛岡を訪ねた。

「もりおか啄木・賢治青春館」
ここは、旧第九十銀行本店の建物を利用したもので、盛岡の白い花崗岩が明るくモダンな印象を与えている。展示には「時代が激しく変化する中で、理想と現実社会との乖離、個人と家族や共同体、強者と弱者の間で苦悩しながら生涯を駆け抜けた二人」とあった。
そして、二人のすぐそばにはキリスト教も。
冒頭の言葉は賢治の短い詩『基督再臨』の結びだ。
啄木も後に熱心な伝道者になった妹を歌に詠んでいる。
そばにいることと、信じることの狭間…。

岩手山を遥かに望み、東北随一の大河北上川に雫石川と中津川が交える街、盛岡。明治維新の苦難から駆け抜けた近代を今も感じられる北の街。二人の目には時代の変化とその痛みをどう見えていたのだろうか?
日が暮れて深い紺色になった空を見上げると、鳥がV字型になって巣に帰っていく…
