今回の「交わりのことば」は、
日本基督教団東中通教会牧師、キリスト教動画伝道ネットワーク主宰の片岡賢蔵先生に、
メディア論を通じた福音のお話をお伺いしています。
イエス様のぶどうの木のたとえ話(ヨハネ15:1〜11)は、
紙芝居の絵を見せるようにして、ご自身をぶどうの木、
神様は農夫、私たちは枝だと語ります。
ところが突然ぶどうと関係ない話になる。
紙芝居をバタンと閉じて語り手のイエス様が顔を出すように
「わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている」(3)と。
…コミュニケーション、また現代のメディアにおいては「双方向性」という事が
大切にされると思いますが、
この3節はイエス様から私たちへ「一方的」に語りかけてくる言葉で、
これがとっても大事だと思うんです。
通常、「一方的」という言葉には、あまりよくない印象を持ちますよね。
その点、メディアの世界で言えば、インターネットの登場は革命的でした。
情報の発信者と、また、受け手というものが相互にやりとりすることによって
従来よりも情報の扱いがより正しく、より深まっていくのではないか?
そういう希望を私達は抱いたからでした。
しかし実際には、一層にこの世は、せわしなく、
混乱をしているようにも思えます。
あまりにも「双方向性」だけを追い求めていくと、
すぐ消費してやりとりだけで終わってしまう。
でもイエス様の言葉って消費できないんですよね。
一方的に降り注いで、ゆっくり自分の中で、これはどういうことだろうって味わう。
そして片岡先生は、それを踏まえて、
「双方向性のすごいコミュニケーションが、ここに現れている」
と全く矛盾するかのようなことを更に語られます。
果たしてその真意とは。
ぜひ放送をお聴きくださり、主の不思議な語りかけを共に味わいたく願います。
